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沖縄型住宅をめぐって

沖縄型住宅をめぐって   

㈱バウ設計集団 内田栄司  2010.08.18

 

 

こと沖縄に於いてはご存知の通り長年に渡り、コンクリート住宅が8割以上を占めてきている。

私共の事務所でも、基本をコンクリート造に置いている。

住宅設計依頼に来られる方も、100パーセントと言えるほどにコンクリート造を暗黙の了解のごとく、それを前提に相談にやって来られる。

しかし、コンクリート造が理想の工法と了解しているわけでは勿論無いわけで、ご承知の通り気候風土上のいくつか大きな課題を抱えつつも、総合的に選択している訳である。

 

ところで、こうした住宅の工法を越えて、最近「沖縄の気候風土」云々以前の、私にとっては驚くべきとでも言うべき現象が出てきている。

私が「げんこつハウス」とか「グーの住宅」と呼びなしているそのもののスタイルの住宅である。

私自身としては、沖縄の住宅をどこまで「パー」にできるか思い悩んで来ているのに、いとも明るく「グー」なる形態で出現し、正直戸惑いを感じているところである。

ジャンケンの「グー」「チョキ」「パー」を建築のタイプ識別指標のひとつとして考えている事なのですが、「パー」は手のひらを大きく開いた開放的なスタイルで、「グー」はそのまったく正反対のものになるわけです。

 

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暑くてやりきれない時は、開いて風通しを計り、涼しくしたくなりましょう。逆に寒くてしょうがなければ、身を丸めて熱を逃がすまいとしてしまいます。「住まいは夏を旨とすべし」と言われるこの日本で、ましてやこの沖縄でなぜ「グー」が受け入れられてしまうのか?

「気候」も「風土」も関係ない、ユニバーサルスタイルと言えば聞こえが良いが、いまさらのモダニズム的発想の極限的姿が。

私としては不思議と言うか、ほとんど驚きなのです。それを発想する人がいること、しかもそれを受け入れる人がいるという事が。

皆さんはどのように思われるでしょうか。

 

まあそこまで行かなくても、沖縄の住宅建築の傾向は、ここ十数年間に可也変化してきたと思います。沖縄の住宅はかくあるべきだという確信的風土論は見失われ、「モダーン」と言うか、格好をつけ易いためか「ミニマル」と言った方向が最先端的に主流になっていると言えましょう。

窓に小庇さえ無い「デザイン主義」とでも言うべきスタイルが幅をきかせつつ、ユーザーもその傾向を求めているのか、恐らく受け入れているとさえ言えるのではないか。

暑ければAC効かせれば良いし、何が問題なのと言う程度の話なのかも知れません。

もはや「気候」とか「風土」だとか問題にする事態では無く、「AC無しで暮らせる家作り」とかいうテーマや興味は絶滅危惧種なのかも知れない。

 

それでも、しかし、「しかしそうでは無い」ということを、原則論として「気候風土」をたゆまず考えて行くべきだと私は言いたい。

図らずも今回の東日本大震災と福島原発大災害の結果停電と電力不足が生じ、生活は大きく混乱した。現代生活の虚構性が露呈した結果、一見便利に見える今の生活環境に大きな疑問・疑念が生まれたと言える。オール電化とはなんだったのかとか、AC頼りの住まいの脆さとか、高層居住の恐怖とか、様々な事態がみんなの意識に「住まう事の原点」を見直させたともいえる。

 

私はそうした物理的な問題も大切な観点ではあるのですが、もっとメンタルな側面を見逃してはならないと感じてきました。例えば住まいにおいて、季節の変わり目というものは、AC漬けの中では捕らえ切れないものがあり、この季節の変わり目を「感得」することこそ、生物としての人間の根源的な「生の喜び」そのものだということです。このことを失っていては、人生の大損失であると言う事を改めて思い返して欲しいのです。

私の敬愛するイギリスの宗教哲学者故ジョン・クーパー・ポウイスによると、人生の中で、詰まるところもっとも肝心な事は、「自然を味得すること」に尽きるとの結論に達したと。人の幸福はこの「自然を味得する」ことが日常生活上に於いてあるかどうかで決まるとさえ言うのです。

ここで言う「自然」と言うのは、どこか遠いところの海や山の存在ばかりでは無く、日々の生活を取り巻く身近な自然が大事だと思うのです。なぜかと言うと、生きるとは日常そのものなのですから。

 

ですから、「気候風土」に合った、「自然とともに暮らせる家作り」が、やはり本当に大事な事、「古くて新しいテーマ」であると思わざる得ないのです。

 

2012/01/21