株式会社バウ設計集団|会社概要
「21世紀建築」それは、再びその地域の気候風土と地域性に根ざしたものに向かっていくことになると私たちは考えています。
失いかけた「自然を味得すること」の意味を居住環境の中に確実に取り込むことで、建築を「自然と人とを結び合わせる空間」として捕らえていきたいと考えています。
「バウ」とは?とよく聞かれますが、これはドイツ語のバウムクーヘンのバウです。
「木の年輪」「建設する」「総合する」の意味があります。「バウハウス」が有名です。
主宰者:内田栄司
1948年、まだ自然豊かだった東京都杉並区に生まれ、のびのびとした幸福な幼少期を過ごしました。
当時の杉並あたりは現在のどこの田舎よりも自然豊かで、日の暮れるまでいつも泥んこまみれで遊びほうけていました。
身を持って自然と共生する住環境の大切さを身体化した時期でもあったのかもしれませんね。
その後早稲田大学高等学院に入学、絵画などに興味を持ち美術部へ。
毎日のように油絵製作に没頭する多感な青少年時代を過ごしました。
その後早稲田大学に入学。
1964年の東京オリンピックを機に建設業は花形産業になっていたこともあり、建築学科はものすごい競争率に。そこで一旦機械工学科に入りました。
しかし、建築への思いが日増しに高まり、3年生への進学時に転科試験を受けて建築学科に移籍しました。
人間の集住することに興味を持ち、同大学院にて都市計画を専攻しました。その時沖縄の久高島の集落研究に没頭しました。
1974年、大手総合建設会社である竹中工務店に入社し、主に大型プロジェクトに参加。
MOA美術館については完成オープンまで関わり続け、区切りのタイミングを見計らって念願の沖縄へ転居しました。
1984年3月 現在の株式会社バウ設計集団の前身であるBAU設計集団を設立。
多くの施主様に支持されて今日に至ります。
自らが信じる設計理念を追い続けて四十年。
これからもお客様と共に感動の建築を続けてまいります。
私たちは依頼主が「何を求めているのか」を深く判断することが必要だと考えています。
個人プレイである純粋芸術とは違い、基本的には「独りよがりの作品」づくりではあってはならないということを念頭において仕事をしています。
しかしながら、依頼主に対し思いもよらないものを提示し、「さすがプロは違う!」という驚きや感動を提示できなければ、建築家の存在理由や必然性は無いと考えております。
設計とは建物を何十年も「活かす」つまり「財産造り」のお手伝いでもあります。
依頼主の財産である建物をまるで宝石を磨くかのように高める必要があります。
そのために
- 時間の経過に耐えられること
- 細部のディティールへの注意
- 限られた予算や時間の制約内での努力
この3つのバランスを絶えず認識しております。
「一見デザインは良かったけれど・・・」では済まされません。
依頼主の使いやすさ、耐久性、そして調和のとれたデザイン。
これらを高いレベルで実現するためには「経験」が極めて重要であると、四十年間設計に関わってきた今頃になって痛感しています。
天才建築家の村野藤吾氏をして、「四十五十は洟垂れ小僧、建築は六十を過ぎてから」と言わしめたことを思い返します。
いつも依頼主に信頼していただける事、これが何よりもありがたいと感じます。
様々な性格の施主様とお付き合いをさせて頂きましたが、初期の無名時代を除いては提示する設計料にもご納得いただけて殊更渋る方もほとんどいらっしゃいません。
また、完成時に施主様から喜びと御礼の言葉を頂いた時、気持ちの芯に"ポッ"と暖かなものが灯されるのを感じます。
この「暖かなポッとした何か」が建物が完成するごとにひとつずつ地道に蓄積され、なんとも幸せな気分の高まりが生み出されます。
他には、沖縄県主催の設計コンペで入賞し、しかも一等で自分たちの企画やアイデアが実施された時の喜びも忘れ難いものです。
発注者にとって納得の行く内容という前提でありながら、ほぼ設計者の思い通りに実現されるというのは、建築家冥利に尽きるというものです。
このように、バウ設計集団の喜びはお客様の納得と感動の上で成り立っています。
これまでのお客様にもこれからのお客様にも、この場を借りて厚く御礼申し上げます。
| 1972年4月 |
早稲田大学大学院理工学研究科建設工学専攻 建築都市計画研究修士課程(吉阪隆正研究室) に所属し、 この2年間大学院にて都市計画を学ぶと同時に沖縄研究を都市計画の視点から離島集落のフィールドワーク中心に専念 |
| 1974年4月 |
(株)竹中工務店(設計部設計課所属)入社 この間、主に大型プロジェクトに参画。 熱海市のMOA美術館については、完成オープンまで関わりつづける |
| 1984年3月 | 一級建築士事務所 BAU設計集団 設立 |
| 1993年1月 | 株式会社 バウ設計集団に改組し代表取締役就任 現在に至る |
| 1974年3月 |
佐藤武夫賞受賞(大学院修士論文にて) 論題【沖縄久高島計画 '74-地域性の問題を起点として】 |
| 1978年3月 | イラン国立国会図書館国際設計競技(応募参画) 佳作入賞 |
| 1981年1月 | 嘉手納町庁舎等設計競技(応募参画) 2席入選 |
| 1982年12月 | 沖縄県青年会館設計競技(個人応募) 佳作 |
| 1984年11月 | 沖縄タイムス・沖縄の住まい設計競技(個人応募)3席入選 |
| 1985年11月 | 第2回沖縄タイムス・沖縄の住まい設計競技(個人応募)優秀賞 |
| 1986年11月 | 久茂地川をよくする何でもコンペ(個人応募) 琉球新報賞 |
| 1994年11月 | 沖縄建築会館設計競技(事務所応募) 佳作入選 |
| 1995年1月 |
沖縄県立埋蔵文化財調査センター プロポーザル・エスキス競技(共同応募) 最優秀賞 |
| 1996年3月 | 沖縄県立新平和祈念資料館(仮称) 佳作入賞 |
| 1997年10月 | 恩納村庁舎設計競技(事務所応募) 優秀賞 |
| 2000年3月 |
沖縄県南部広域圏北斎場(仮称) プロポーザル・エスキス競技(事務所応募) 優秀賞 |

| 会社名 | 株式会社バウ設計集団 (沖縄県知事登録 第102-1427号) |
|---|---|
| 代表取締役 | 内田栄司 |
| 住所 | 〒901-2126 沖縄県浦添市宮城3-9-3 [MAP] |
| TEL | 098-875-2620 |
| FAX | 098-875-2622 |
| 業務内容 | 建築全般の企画・設計・監理 |












